導入事例

梶税理士事務所 

2017年4月20日

梶税理士事務所 様

梶税理士事務所(富山県高岡市)は、富山県高岡市で35年以上にわたって地域の中小企業の支援を続けている会計事務所である。同事務所の所長である梶義明氏(写真)は、当初は地元の高岡市で開業する考えはなかったという。しかし、あるきっかけから20代で地元に帰り、開業するに至った梶氏は、若手のころから税理士会のさまざまな役職を歴任。全国のネットワークから得た知見を地域の若い税理士と共有するなど、地域への積極的な貢献で広く知られている。「次の世代に自分が知っている情報を少しでも引き継ぎたい」と語る梶氏は、どのような足跡を歩んできたのであろうか。今回の取材では、梶税理士事務所の長年にわたる取り組みや今後の展望についてお話を伺った。

子供のころからあこがれた会計人

―― 梶税理士事務所は富山県高岡市で35年以上活動を続けている会計事務所です。同事務所は地域の中小企業と近い距離で支援をしながら、所長の梶先生が地域を活性化する取り組みを続けていることで知られています。
まず、梶先生がなぜ税理士を志したのかお聞かせください。

きっかけは私の父が税務署の職員だったことです。父の友人で税務署OBの税理士の方々がよく自宅に遊びに来ていました。みなさん自家用車に乗って、パリッとした背広を着て、すてきなお土産を持って来てくれていましたので、「税理士さんってなんてすごいんだろう」「羽振りがよい職業だな」と子供のころに感じたわけです。

―― それでは、かなり小さなころから会計業界への道を考えていたのですね。

そうです。高校生のころには既に「税理士になりたい」と明確に目指し、迷わず真っすぐにこの道を歩んでいます。
当時、さまざまな職業を紹介する書籍を読んだことを覚えています。「職業会計人を目指すには、大学では商学部の会計学科に進み、勉強して資格を取り、税理士を目指すのが近道だ」と書いてありました。そこで調べてみると、当時は中央大学、日本大学、専修大学の3つにしか会計学科はありませんでした。私はそのなかで合格した専修大学へ進学することに決めました。

―― 資格を取得するための勉強はいつごろから始めたのですか。

大学に税理士を目指す学生が集まる研究会がありまして、入学後はそこへ入会しました。私はそこで資格の勉強を始めました。その研究会は、簿記からスタートして税理士試験に関する全てのことを上級生が下級生に教えてくれるという組織だったのです。
初めて受験したのは大学3年生でしたが、簿記・財務諸表のどちらも不合格でした。翌年は簿記論に合格したのですが、大学院に進むことになりまして、しばらくは修士論文に専念するため、試験の勉強はできませんでした。

―― では、最終的に資格を取得されたのは大学院の修了後なのですね。

そうですね。2年間で修士課程を修了すると同時に、指導教授の紹介で日本橋にある会計事務所で見習いとして働き始めました。
日中はその事務所で働き、夜は自宅で勉強を再開したのですが、社会人1年目の試験は失敗に終わりました。25歳になった2年目の受験で財務諸表に合格した次第です。

―― 働きながらの試験勉強は苦労されたのではないでしょうか。

私はとても環境に恵まれていました。昔からどうも朝が弱く、4月に事務所に就職してから1週間連続で遅刻してしまったのです。
すると、その事務所の先生は「ノルマの仕事だけきっちりやれば、遅刻も早退も仕方ないから」と諦めてくださったのです。仕事をしながらも勉強する時間をたくさんいただけたのは、先生のご支援のおかげでした。

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「お前には話せない」と言われた独立直後

―― 当時、日本橋の事務所に勤務されていたわけですが、富山県高岡市で開業した経緯を教えてください。

私は25歳で資格を取得したのですが、学生時代から交際していた女性がいました。彼女は社会人になると地元の栃木県宇都宮市に帰っていて、25歳でまだ税理士登録していないころに既に結婚することに決めたのです。
彼女は商人の家の跡取りでした。ですから、結婚してから彼女と一緒にしばらく東京で一人前を目指し、いずれは彼女の地元の宇都宮で開業しようと漠然と考えていたわけです。ところが、その予定は全く別のものになりました。

―― 何があったのでしょうか。

資格を取得した翌年の1980年に私は東京税理士会に登録しました。
転機はさらにその翌年の1981年、私が27歳のときでした。私の地元である富山県高岡市で、父と幼なじみだったある税理士さんが会計事務所を営んでいたのです。しかし、その先生はその年の1月にガンで急逝してしまいました。3月の確定申告を3名のスタッフで乗り切らなければならない状況になってしまったのです。
そこで、私に白羽の矢が立ち、「富山へ帰ってきて独立しなさい」という流れになったのです。ところが、当時の東京税理士会には登録から1年間は、税理士会を異動できないという決まりがありました。
そこで、北陸税理士会富山県支部連絡協議会の県連会長さんや北陸税理士会の会長さんたちが、東京税理士会の会長さんたちに特例で異動を認めるように直談判してくださったそうです。私の意思よりも先に周囲の環境が整いまして、妻と2人で慌ただしく富山へ戻り、2月16日に事務所を引き継いで開業することになったのです。

―― 特例での異動とはすごい展開だったのですね。

これは後から聞いた話ですが、当時地元高岡に20代の税理士がいなかったそうで、「若い先生を呼べばおもしろい」という思惑もあったようです。
もちろん、確定申告が目前に迫っていたことが一番の理由ですが、いずれにせよ私にとっては大きな転機となりました。今振り返ってみれば、よいきっかけになりました。

―― 先代から引き継いだ顧問先と信頼関係を築くのに苦労されたのではないでしょうか。

私は当時27歳です。ある顧問先の70代の会長さんに、「命の次に大切な会社の数字をお前みたいな若造には話せない」と一喝されたこともありました。
高岡に戻る前に10年近く東京にいた私は、地元の言葉がなかなか使えなくなっていました。若造が東京弁でお客様に接していたわけです。お客様は怪訝そうな表情をしていますし、私の顔は不安でいっぱいだったと思います。
そこで、当時はそれほどお客様の件数が多くなかったこともあり、月に一度は必ずお客様のところに顔を出すことをノルマにしていました。そのように何度も顔を合わせて、お茶を飲みながら世間話をしているうちに、だんだんお付き合いが深まっていきました。理屈が分かっていたわけではありませんが、やはり接する回数が多いのがよかったのだと思います。

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「見て分かる資料」で顧問先を指導

―― 事務所の運営にあたってどのようなシステムを使っていましたか。

先代は大手会計グループが提供するツールを採用していました。ただ、当時のそのシステムはデータを入力したあと、センターへメディアを送り、試算表が後日送られてくるというもので、タイムリーではありませんでした。
さらに、セミナーへの参加要請が多かったり、そのグループが提携する金融商品を売るように要求されたりというしがらみがありました。私としてはそういった活動よりも、事務所を守るために、とにかくお客様に時間を使いたいと考えていました。そこで、私は後先を考えず、開業1年目にそのグループを退会してしまいました。
その後は、たまたま営業に来てくれた別の会計システムを採用しました。そのシステムはとても便利だったので、20年近く使うことになったのですが、コストがかなり高くなるというジレンマを抱えていました。
そこで、会計事務所にもパソコンの時代が本格的に訪れた17年ほど前に、ミロク情報サービス(以下、MJS)のソフトへ乗り換えました。

―― 梶先生がMJSを知ったきっかけを教えてください。

以前のシステムに対して「この運営コストの高さはおかしいのではないか」と私が考え始めたころ、ある税理士の友人がMJSのソフトを使い始めていました。彼から「MJSは使い勝手がいいし、事務所のコストをすごく削減することができるよ」と紹介してもらって、実際に私も触ってみたのです。
すると、とてもいい印象を持ちまして、その場でMJSに乗り換えようと即決しました。実際に導入してから17年ほどたった現在は、MJSの「ACELINK NX-Pro」を基幹ソフトとして利用しています。

―― 実際にはどのように利用されているのか、具体的に教えてください。

MJSのソフトの特徴のひとつに、出力帳票がとても見やすいという点が挙げられると思います。
私たちが行っているのは決算だけではなく、半期や4半期ごとに目で見て分かる資料をお客様に提示することです。スタッフに資料を作成してもらい、私がその資料を使って「ここがこう変わっています」「今期の成績はこうでしたから、次はここを改善しましょう」とお客様に指導するわけです。

―― 顧問先では自計化も進めているのですか。

そうですね。MJSの「NX記帳くん」をお客様に導入しています。自計化を進めるのは早いほうだったと思います。
顧問先と会計事務所でデータを共有できる「NX記帳くん」は、試算表がタイムリーに見られるのでお客様にも好評です。既に、現在約30社のお客様が「NX記帳くん」を導入しています。
もちろん、私たちの業務も効率化されるので助かっています。分かりやすくて触りやすいこと、さまざまな要望にスピーディーに対応してくれることはMJSのいいところだと感じています。

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女性が働きやすい職場づくり

―― 現在スタッフはどのくらいいらっしゃるのでしょうか。

9名です。そのほとんどが女性です。以前から主に女性のスタッフを採用していまして、女性に働いてもらえる職場づくりに注力してきました。
開業してから3年くらいの時期に、高校を卒業したばかりの若い女性スタッフを採用したことがありました。彼女は結婚・出産のために事務所を辞めてしまったのです。しかし、退職から5年くらいして彼女がコンビニエンスストアでアルバイトをしている姿を見かけたスタッフがいたのです。私はとてももったいないと感じたので、「パートタイムで構わないから」と彼女に再び事務所で働いてもらうことにしました。
今から25年ほど前のことですが、結婚や出産、子育てでしばらく現場を離れている時期があっても、すぐに即戦力として復帰できる事務所でありたいとその経験から意識するようになりました。

―― 今でこそ産休や出産後の再雇用は珍しくありませんが、当時としてはかなり新しい取り組みだと感じます。

スタッフと私には信頼関係がありますから、在宅勤務も採用しています。
MJSにはネットワークにつながらないオフラインの状態でも、普段利用しているデータを外出先で使えるシステムがあるのです。例えば、子供が病気で自宅を離れられない場合でも、そのシステムと資料さえあれば自宅で仕事をしてもらえます。どんな仕事をしてもらったか、どのくらいの時間働いてもらったかもMJSのシステムで記録できますので、通常の勤務と同じように給与の計算もできるわけです。

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全国ネットワークの知見を次世代に引き継ぎたい

―― 新しい顧問先の開拓はどのように行ってきたのでしょうか。

これは運によるところが大きいのですが、開業してから3年後の30歳くらいのころからお客様を紹介してもらえるようになりました。

―― きっかけがあったのですか。

高岡市はアルミ関係の業種と仏具を扱う鋳物業が盛んな地域です。開業して2年くらいの時期に、地元の金融機関から依頼をいただきまして、業績が傾きかけている老舗の鋳物工場を再建する支援を行うことになりました。
当時、経営陣は社長ご夫妻とその娘さんでした。ところが、金融機関と私で支援をし、再建に向かって順調に動き始めた矢先に、社長が急逝されてしまったのです。その後、社長の生命保険金が下りて、工場にも多額の資金が入りました。社長の生命保険金で工場の再建がうまく達成されたというわけです。
ところが、外からは「傾きかけていた老舗の工場を若い税理士が再生させた」と評判になってしまったのです。運がよかっただけなのですが、そこから地元の金融業界からお客様を紹介してもらえるようになりました。

―― その後はどのような活動をされたのでしょうか。

その紹介によりお客様が少しずつ増え始めた30代の10年間は、地元の青年会議所活動に取り組みました。
県内外のさまざまな方と知り合いになりまして、40代になってからはその人脈からまたお客様が増えるようになりました。
また、もちろん地元の税理士会の先生方にも育てていただきました。私が高岡に戻ってきたころ、20代の税理士はいませんでした。当時の税理士会の役員は、父の仲間の方ばかりでした。ですから、さまざまなお店で飲ませていただいたりしながら、とてもかわいがって育ててもらいました。また、若いころから高岡支部の役員などを務めてさせていただきました。

―― 梶先生はミロク会計人会の役員も務めていらっしゃいますね。

私がMJSを導入した年は、たまたま金沢で全国統一研修会が開催される年でした。すぐに実行委員会に呼ばれて、「当日空けておいてくださいね」とお話をいただきました。そこで実際に当日足を運んでみると、懇親会の司会を行うことになっていたのです。
そこから、ミロク会計人会連合会の研修委員などを務めるようになりました。ミロク会計人会のいいところは、北海道から沖縄まで幅広い地域の先生方と知り合いになれることです。
地元の先生方だと、どうしても利害関係があるので腹を割って相談しにくいことがあります。しかし、ミロク会計人会だと地域が離れているので、気楽に情報交換ができるわけです。それは私自身の財産になっています。
そして、全国のネットワークから得た知識を地元に提供しています。北陸税理士会の高岡支部長になった際には、「仲良くみんなで繁栄していきましょう」と打ち出しています。とにかく次の世代の税理士に私が知っていることを引き継ぎたいと思っています。

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顧客の将来を支える事務所に

―― 今後、注力していこうと考えている取り組みはありますか。

これまで私たちはMJSのソフトを使って作成した帳票を使って、主にお客様と過去と現在、少し先の未来についてお話ししていました。しかし、そのサービスだけでは物足りない時代になってきていると感じています。
そして、決算診断システム「社長の四季」の存在を最近知りました。息子たちにも相談しまして、「これはおもしろい」「お客様もきっと喜んでくれるね」と盛り上がり、最近「社長の四季」を導入したのです。

―― どのような点が気に入ったのでしょうか。

とにかくお客様が見て分かりやすい、ビジュアル重視の資料が作成できる点です。お客様が未来の展望について考えるための素晴らしい資料だと思います。ですから、お客様と将来について、もっと入り込んだ会話をするためのツールとして必要になると考えて採用を決めました。
現在は事務所のスタッフのレベルもかなり上がり、決算を仕上げるレベルの仕事はこなせるようになってきています。次は、お客様の未来を見ていける事務所を目指そうと考えているのです。先日研修にも参加してきまして、この春から本格的に稼働させていきたいと考えています。

―― 将来的には事務所の規模も拡大されていくのでしょうか。

そうですね。現在、私の2人の息子が税理士を目指して事務所で修業をしています。数年後には税理士資格を取得してくれると思いますし、そうなれば2つの事務所を展開してエリアを広げて活動したいと考えています。お客様と接する機会をもっともっとつくっていきたいという気持ちがあるのです。
ただし、私には30年くらい前から「地域の総合病院でありたい」という思いがあります。つまり、税理士のいる事務所ではありますが、弁護士さん、労務士さんなど地域の企業が抱えるさまざまなニーズに応えるネットワークを持つ存在になりたいのです。
そのためにはエリアを広げすぎてもいけません。地域といかに濃密に接していくかということを忘れずに、今後も取り組んでいきたいと思います。

―― 本日は貴重なお話をありがとうございました。ますますの発展を祈念しています。

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導入事務所様のご紹介

梶 義明(かじ・よしあき)

梶 義明(かじ・よしあき)

梶税理士事務所 所長。税理士。北陸ミロク会計人会 研修委員長。1954年生まれ。富山県高岡市出身。拓殖大学大学院修士課程修了。1978年、東京都の会計事務所にて勤務を開始。1980年、税理士登録。1981年、高岡市にて梶税理士事務所を開設。

梶税理士事務所

所在地 富山県高岡市本郷1-2-7 河井ビル2F
代表者 梶 義明
創業 1981年
職員数 9名
業務内容 所得税、法人税、消費税、相続税等に関わる税務相談/申告書、
申請書等の税務書類の作成/調査立会その他の税務代理/経営指導、記帳指導
URL http://kaji.zei-mu.jp/index.html
  • 本事例の掲載内容は取材当時のものです。

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