導入事例

税理士法人小山内・中川事務所 様

2023年6月1日

税理士法人小山内・中川事務所は、神奈川県藤沢市の小山内税理士事務所と横浜市の中川会計事務所が令和3年に設立した、地域密着型の会計事務所である。代表社員の小山内光雄氏(写真)は、25年間勤めた国税の職場を43歳で退職し、平成元年に独立開業。ほぼ紹介のみで顧問先を増やし、今や神奈川・東京エリアで多くの顧客企業の経営を支援している。その一方で、地域の活動に長年携わりながら、税理士会の要職も歴任するなど、業界および地域社会に貢献し続けてきた。本記事では、小山内氏にこれまでの歩みや主な取り組み、開業時から導入しているミロク情報サービスの会計システムの活用法などについてお話を伺った。(撮影 市川法子)

税務署での経験と人脈を生かして43歳で独立

―― 本日は、神奈川県藤沢市にある税理士法人小山内・中川事務所の代表社員である、小山内光雄先生にお話を伺います。
 まずは、小山内先生のご経歴をお聞かせください。

小山内 私は、青森県のリンゴ農家で生まれ育ち、昭和38年に高校を卒業して国税庁税務講習所に入所しました。その後、神奈川県内の税務署に勤務しているときに特別税理士試験に合格し、昭和63年に43歳で国税の職場を退職しました。
 退職後は、横須賀にある国税時代の先輩の事務所で1年ほどお世話になってから、平成元年5月に、神奈川県藤沢市で個人事務所を開業しました。今年で創業35年を迎えます。
 一昨年、横浜市に事務所を持つ中川公登先生とともに、税理士法人小山内・中川事務所として法人化しました。

―― 独立まで25年間勤められた国税時代についても、お話しいただけますか。

小山内 税務講習所東京支所で1年間、税務を学びました。同期は全国で1000人で、東京支所は300人でした。全寮制のもと、高校の延長線上の生活で法律の勉強でした。
 税務講習所修了後の昭和39年に、神奈川税務署に配属されました。以降は、神奈川県内の税務署を数年ごとに異動しながら、徴収課や所得税課に勤務しました。徴収課では滞納整理のほか、差し押さえ物件の競売などの実務を、所得税課では個人事業主の税務調査を経験しました。
 この間、国税の労働組合活動にも携わり、神奈川県支部書記長の職にも就いています。税務署や労働組合で培った経験と人脈が、税理士として独立する際の支えとなりました。

地域貢献活動にも40年以上取り組む

―― 小山内先生は、オフィスを構える藤沢市の地域活動にも貢献していらっしゃいます。藤沢市の「月例湘南マラソン」の事務局長を40年以上務められたことは、神奈川県・東京多摩地域向けのタウン情報紙にも取り上げられていますね。

小山内 「月例湘南マラソン」は、昭和52年に始まったマラソン大会です。当時、藤沢税務署に赴任していた私は、健康管理にちょうどよいと考えて、第1回から参加し続けました。
 そうするうちに、いつの間にかランナーではなく、運営委員の事務局長として関わるようになりました。ありがたいことに、令和元年の通算500回まで41年間、毎月欠かさず参加することができました。

―― 長きにわたり事務所を継続するには、所長の健康管理も大切な条件のひとつといえるでしょう。

小山内 結果的に、ランナーとして参加した時期よりも、裏方である運営委員を務めていた期間のほうが長くなってしまいましたが。
 私を含め、運営委員が高齢になったため、500回で開催を終了する予定でした。しかし、参加者から「続けてほしい」という声が多く寄せられ、次の運営者を見つけて、無事に引き継ぐことができました。大きな事故もなく次世代にバトンタッチできたのは、本当にうれしいことです。

―― 税理士としての業務だけでなく、地域貢献にも全力で取り組む小山内先生のお人柄が、とてもよく表れているお話です。

顧問先からの紹介の連鎖で増客を継続

―― 独立後は、どのようにして顧問先を増やしてこられたのでしょうか。

小山内 特に、集客のための活動はしてきませんでした。今も、事務所のホームページは持っていません。それでも、ありがたいことにご紹介で少しずつ増えていきました。

―― 既存の顧問先から新しい顧客を紹介され続けるという、好循環を確立されたのですね。

小山内 よいお客様との出会いがあったおかげです。
 例えば、当事務所は建設関係のお客様がたくさんですが、きっかけは、国税時代に労働組合の活動を通じて、建設組合の役員と知り合ったことでした。
 そこから建設関係の人たちとの交流が生まれ、私が開業したことを知ったいろいろな方からご紹介を頂きました。現在も、当事務所の顧問先の2割が、建設関係のお客様になります。
 同じように紹介で増えていったのが、飲食業のお客様です。きっかけは、事務所の近くにオープンした中華料理店でした。客として何度か通ううちに、中国人である経営者やそのご家族と親しくなり、横浜市内で飲食店を始めたいというご友人を紹介してくださいました。さらに、その方からも同業のご友人を紹介していただき、飲食店のお客様が増えていきました。
 それに加えて、最初に紹介された横浜市の飲食店が繁盛して法人化し、中華街で次々に新しい店舗を展開し始め、私に顧問を依頼してくださいました。今では、横浜市から都内まで、広いエリアで飲食店の顧問をしています。当事務所のお客様のうち、全体の4分の1が飲食業です。

―― 顧問先の社長から、知人や友人の経営者を紹介されるのは、最上級の信頼の証しだと思います。その信頼を得るために、どのようなサービスを提供されてきたのでしょうか。

小山内 税務会計の業務以外にも、お客様の経営に必要なご支援を幅広く行ってきました。
 税務署に勤めている頃は、税務の知識があれば独立できるだろうと思っていました。しかし、退職後に先輩の事務所のお手伝いをしたことによって、税理士には幅広い支援が求められていることを知りました。
 その経験から、税務のみにこだわらず、お客様に寄り添い、会社を設立するお手伝いから社会保険や労働保険などのあらゆるご支援をすることを心掛けました。
 もちろん、国税OBとしての経験に支えられた部分もあります。経営のアドバイスについては、税務署時代に個人事業主の調査を担当したため、さまざまな事業の内情を見ていたことが役立ちました。また、税金を滞納してしまったお客様にも、滞納整理の実務を担当した経験から、正確なアドバイスをすることができました。

―― 開業からの35年を振り返って、事務所を長く続けるための秘訣はどこにあるとお考えですか。

小山内 強いて挙げるとすれば、お客様に寄り添ってきたことでしょうか。月次監査のようなルールは特に設けなかったものの、お客様から連絡を受けたときは、すぐに会いに行くようにしていました。
 お客様からの相談に、時間帯を問わず対応していた時期もあります。深夜に事務所からの転送電話で、「取引先が倒産して、今その説明に来ている」との連絡を受けて、自宅から駆けつけたこともあります。
 逆に、自分の仕事に何か間違いがあったときは、お客様のところに飛んで行って謝り、経緯を説明するようにしていました。フットワークの軽さと、なるべく顔と顔を合わせるコミュニケーションを大切にしてきたという自負はあります。

―― 今のお話を伺って、常に顧客に寄り添う誠実な姿勢が、顧問先からの信頼獲得につながっていると感じました。

開業当初からMJSの会計システムを利用

―― 今や、事務所経営に欠かせない要素のひとつに、会計システムがあります。貴事務所は、長年にわたり株式会社ミロク情報サービス(以下、MJS)のシステムを活用されているそうですね。

小山内 仰るとおり、開業からずっとMJSさんの会計システムを使い続けています。何度かの代替わりを経て、現在は「ACELINK NX-Pro」を使用しています。

―― MJSのシステムを選ばれた理由をお聞かせください。

小山内 導入を決めた理由自体は単純で、開業時に採用した職員が、MJSさんのソフトを使えるという話だったからです。その後、他社の会計システムも試したのですが、最終的にはMJSさんのシステムが当事務所の業務に一番合っているという結論に至りました。
 MJSさんのよいところは、システムが使いやすいことだけでなく、サポート体制も手厚いことです。
 例えば、国税の電子申告が始まったとき、すぐに慣れることができたのも、MJSさんのシステムや、同社のサポートスタッフの力があったからです。おかげで、わりと早い時期に、全ての顧問先で電子申告を導入することができました。
 今では当たり前に行われている電子申告ですが、それまでは書類を持参して税務署を行き来しなければならなかったので、スムーズに導入できて本当に助かりました。

―― 数多くの会計システムのなかから、相性のよいMJSというベンダーに最初に出合えたことも、貴事務所の成功要因のひとつといえるかもしれませんね。

小山内 そうですね。本当にありがたいことです。
 MJSさんとのお付き合いは、会計システムだけではありません。平成19年に、MJSさんからのご依頼を受けて、東京ミロク会計人会神奈川地区会の立ち上げに関わりました。
 その後、平成20年5月から13年間、神奈川地区会の会長を務め、現在は東京ミロク会計人会の会長を務めています。

―― MJSにとって、小山内先生は神奈川地区のユーザー会の設立と運営に尽力された功労者でもあるのですね。地区会の立ち上げにあたっては、いろいろご苦労もあったのではありませんか。

小山内 当時は、税理士会の役職にも就いていましたから、今思えば少し大変だったかもしれません。ただ、私以外にミロク会計人会の役員になったメンバーは、税理士会の支部長時代の同期が多かったので、そこは心強かったですね。

税理士会や税理士政治連盟の要職を歴任

―― 今お話のあった、税理士会での活動についても、ぜひお聞かせください。

小山内 平成5年から、東京地方税理士会藤沢支部の法人指導部長や総務部長などを経験し、平成17年4月に支部長の職に就きました。平成19年4月からは、東京地方税理士会の理事・常務理事を8年間、4期にわたって務めました。
 その後、平成27年から6年間、東京地方および神奈川県の税理士政治連盟で副会長を、一昨年からは相談役を務めています。

―― 約30年間、切れ目なくさまざまな役職をこなしてこられたのですね。事務所経営と並行して、ここまで伺ったさまざまな活動を継続してこられたバイタリティーに敬服いたします。

小山内 少なくとも休みはなかったですね(笑)。

―― 特に印象に残っている役職はありますか。

小山内 藤沢支部の支部長のときは、ちょうど藤沢支部が50周年を迎えるタイミングだったので、大変だったぶんよい経験になりました。
 また、支部長としての同期に恵まれたことも、私の財産です。神奈川県内の他の支部で支部長を務めていた先生方のことですが、その皆さんとは今も強い絆で結ばれています。

―― 税理士会の活動に対する、今の思いをお聞かせください。

小山内 税理士会の活動は、とてもやりがいがあります。それだけでなく、実務で困ったことがあったときに頼れる仲間もできます。
 特に、試験で税理士になられた若い先生のなかには、気軽に相談できる税理士仲間や国税職員がいない方もいらっしゃるのではないでしょうか。そのような先生にとって、会務を続け、税理士会に貢献して人脈を広げていくことは、多くの助けになると思います。
 やるからには、会務をおろそかにできないので、そこは本当に大変ですが、そのぶん、よい仲間と、よい経験ができると思います。

事務所の永続を見据えて税理士法人化

―― 一昨年の税理士法人化について伺います。事務所の永続を考えて、中川会計事務所と統合されたのでしょうか。

小山内 ええ。自分の年齢を考慮して、スタッフやお客様のために法人化することを決めました。

―― 中川先生との出会いについてお聞かせください。

小山内 東京地方税理士政治連盟の活動で知り合いました。中川先生は連盟の幹事長を務めており、会議などで顔を合わせるうちに、ぜひ中川先生にお願いしたいと考え、お声を掛けました。
 現在は、月に1回のミーティングに参加していただき、当事務所のスタッフとコミュニケーションを取ってもらっています。

―― 最後に、今後の事務所経営に対する思いや展望をお話しいただけますか。

小山内 自分にできることはやってきたと思いますので、「事務所をこれからもっとこうしたい」という考えはありません。私に何かあれば、中川先生が新たなパートナーを見つけて、お客様を守っていってくださるはずです。もちろん、私も車で動けるうちは、何歳になっても税理士を続けたいと思っています。
 とはいえ、「リタイアしたら、後は知らないよ」というわけにはいきません。できれば、当事務所に来てくれる藤沢市の税理士を、もうひとり見つけたいと考えています。そうすれば、より安心して事務所の将来を任せることができます。

―― 本日は、大変貴重なお話を頂き、ありがとうございました。貴事務所のさらなるご発展を祈念しています。

導入事務所様のご紹介

小山内 光雄(おさない・みつお)

税理士法人小山内・中川事務所代表社員。税理士。昭和19年生まれ。青森県出身。青森県立弘前高校卒。高校卒業後、国税庁税務講習所に入所し、昭和39年から昭和63年まで、主に神奈川県内の税務署に勤務。昭和58年、特別税理士試験合格。平成元年、小山内税理士事務所を設立。令和3年、税理士法人小山内・中川事務所として法人化。東京地方税理士会の藤沢支部長、常務理事などを歴任し、東京ミロク会計人会神奈川地区会の設立にも携わる。現在、東京地方税理士政治連盟および神奈川県税理士政治連盟の相談役、東京ミロク会計人会会長などを務める。

税理士法人小山内・中川事務所

所在地

神奈川県藤沢市南藤沢9番12-201号

代表者 代表社員  小山内 光雄
創業 平成元年
職員数 11名(税理士2名)
得意分野 税務会計、法人税申告、会社設立、経営支援 等
  • 本事例の掲載内容は取材当時のものです。

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